木曽路・大正村の父
飯場の創人「沢田正春」の歩み
大正七年:泉山義夫(沢田正春).
. . . . . . . . . . 兵庫県養父郡八鹿町字舞柱
泉山喜一・よしゑの長男として大正八年十ニ月五日生まれる。
昭和五年:八鹿町高等小学校を卒業と同時に叔父の許で鹿島建設各地工事
現場に就労する。
昭和十八年:鳥取歩兵四十連隊、満州関東軍に配属、昭和二十一年復員する。
昭和ニ十ニ年:千鶴子と結婚、間もなく別居し、終生別居であった。再び土建労
務者となり、九州延岡、鳥取米子、岐阜高山等水力発電工事に就
労する。
昭和三十三年:長野県木曽郡、現南木曽町関西電力読書第二発電工事に鹿島建の
作業員として就労する。
平成四年:六月二十九日、木曽郡日義村、木曽駒高原「森のホテル」浴室で
倒れる。午後六時三十分(急性心不全)御逝去される。
七月一日木曽郡日義村、正沢原生活改善センターで神式の葬儀が
執り行われた。.......享年七十三歳.......正春氏が晩年住んでいた家
※注:沢田正春氏が木曽に来られるまでの私生活については沢田正春氏は聞く人
により異なった事を言はれ、真実は定かでないが、私なりに先生(沢田正
春氏)に直接聞いたことや、(信頼出来ると思われる)活字になったもの
から拾い記しましたが、いずれにしても、まぼろしの部分の多い半生のよ
うです。
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